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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)1046号 判決

原告

日ノ出地所株式会社

右代表者代表取締役

斉藤稔

右訴訟代理人弁護士

森田宏

右同

忠海弘一

被告

高槻市

右代表者市長

江村利雄

右訴訟代理人弁護士

澤邉朝雄

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、原告と被告との間の昭和五七年一二月八日付覚書にもとづき原告が被告に対して負担する協力金支払債務のうち、原告の開発に係る工事について都市計画法第三七条申請時を履行期とする金九四二万五六三〇円の債務が存在しないことを確認する。

2  被告は原告に対し、金九四二万五六三〇円及びこれに対する昭和五九年三月一日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えを却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案の答弁

主文第一、二項同旨。

第二  当事者の主張

一  本案前の主張

1  原告の主張

原告は本訴において後記本件約定の無効を主張するものであつて、いわゆる行政処分の取消を求めるものではない。行訴法上抗告訴訟の対象となる行政処分とは、国又は公共団体の機関が行う行為のうち、公権力の行使にあたるもの、すなわち、その行為によつて直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められている行為であつて、本件約定はこの行政処分にはあたらない。

2  被告の主張

原告は、被告が高槻市宅地等開発に関する指導要綱(以下本件指導要綱という)及び同施行基準(以下本件施行基準という)にもとづき原告から昭和五七年一二月八日付で後記本件覚書の提出を求め、原告が同日本件覚書に記名捺印して提出すると共に協力金内金九四二万五六三〇円を支払つた趣旨を述べているのであるが、被告が右協力金(以下本件協力金という)の支払を要求したことが何らかの意味で被告の行政処分であると主張するのであれば、原告は遅くとも本件覚書を作成提出し本件協力金の支払を行なつた昭和五七年一二月八日に被告の処分を知つたものといわなければならない。

したがつて、原告は被告の処分を知つた昭和五七年一二月八日より三か月以内に右処分の取消しを訴求しなければならないにもかかわらず、原告はこれをなさなかつたのであるから、原告は被告の右処分につき不服を申立てる余地は存しなくなつている。本件訴えはすでに不服申立の余地のなくなつた処分にかかる金員の返還及び義務の不存在の確認を求めるものであるから却下せらるべきである。

二  本案の主張

1  請求原因

(一) (原告の開発計画)

原告はその所有にかかる高槻市上土室二丁目一番地の六の宅地面積一、八六四・七八平方メートルについてその地上に鉄骨造地上三階地下一階の共同住宅を建築する計画を有している(以下本件開発という)。

(二) (覚書の作成)

被告は本件開発に関し、次項の諸申請に先立ち被告の制定する本件指導要綱八条及び本件施行基準一四項にもとづく行政指導として原告に対し本件協力金の支払いを要求し、「原告が被告に対し金一八八五万一二六〇円の協力金の支払い義務を負担し、内金九四二万五六三〇円については本覚書作成と同時に残金九四二万五六三〇円については本件開発に係る工事の検査済証受領時(但し都市計画法三七条申請をする場合にはその申請時)に納付する。」旨の約定の記載された所定の覚書(以下本件覚書という)の提出を求めたので、昭和五七年一二月八日原告は本件覚書に記名捺印して提出し、同日本件協力金内金九四二万五六三〇円を被告に支払つた(以下本件約定という)。

(三) (本件覚書作成後の経緯)

(1) その後原告は本件開発のため、昭和五八年二月一四日敷地造成工事について被告市長に対し都市計画法二九条、八六条にもとづく開発行為の許可申請を行ない、右申請は同月二二日許可され、同年八月二日付右開発行為の一部変更申請も同月四日付で許可された。

(2) 原告はさらに同月五日建物建築について被告の建築主事に対し建築確認申請を提出し、同日被告市長に対し都市計画法三七条にもとづく建築承認申請をなしたが、被告は本件約定にもとづき都市計画法三七条の申請時である同日に本件協力金の残額九四二万五六三〇円の納付をなすべき旨主張し、前記建築確認申請については現在なお処分を留保している。

(四) (本件約定の不成立)

本件約定は本件指導要綱八条及び本件施行基準一四項にもとづく行政指導として締結したものであるが、本件指導要綱は画一的に適用されており、原告には約定の締結の諾否の自由も内容決定の自由もなく、ただ合意の形式がとられているだけであつて、実質は右指導要綱が規範的に適用されているに過ぎないのであるから契約として不成立である。

(五) (本件約定の無効)

仮に本件約定が成立したとしても、それは以下に述べる理由から民法九〇条、地方自治法二条一六項により無効となる。

(1) 行政機関の行政指導としての行為について、法律による行政の建前から法律の根拠を要し、その根拠としては組織法的根拠のみならず、作用法的根拠をも必要とする。当該行政指導が内容的に国民の権利を規制し、手段としても相手方に任意性が認められない場合には作用法的にも法律の根拠が必要である。ことに次項において述べるように国会が別に厳格な規定の立法措置(地方税法七〇三条の三)をとつている場合は明確な作用法的根拠たる法令なくして行政指導としての契約行為はできないものである。それゆえ、本件指導要綱の協力金負担義務に関する規定は何ら法律上の根拠にもとづかず、法律上の委任にももとづかないものであつて、憲法二九条に違反する。

(2) 次に本件指導要綱の前記規定は地方税法七〇三条の三の宅地開発税の規定に違反する。

すなわち、大都市周辺部の人口の増加から宅地開発に伴う道路等の公共施設の整備費用が増加し昭和四〇年頃より大都市周辺部の財政負担が次第に大きくなつたのであるが、公共施設の整備費用にあてるため昭和四四年に同法七〇三条の三に宅地開発税が設けられている。しかし、右規定によれば、必ず条例で税率を定めることとなつており(同条二項)受益者負担的な税制ではあるが、あくまで租税法律主義の立場から規制がなされている。

本件指導要綱は右地方税法の規定にも従わず条例の形式にもよらず、全く恣意的な方法で宅地開発に際し無償で負担金を徴収するものであつて、同法七〇三条の三の脱法行為であり、同法二条に違反するばかりでなく、憲法八四条にも反するものである。

(3) 又、本件指導要綱の前記規定は地方財政法四条の五の割当的寄附金等の禁止に触れるもので無効である。

本件協力金に関する前記規定及びその運用は開発許可申請に伴い寄附金(又はこれに相当する物品)を割り当てて強制的に徴収する行為に該当するものであつて、篤志家の寄附のごとき真に自発的に申出られる寄附金を求めているものではないことはその規定の内容及び運用の実態からも明らかである。

(4) 本件指導要綱のうち協力金に関する前記規定は以下の点からみて、慣習法としての法規範性を有するものではないので、それが法的根拠を有するとはいえない。

本件指導要綱は憲法二九条及び八四条に違反するものであり、地方財政法、地方税法にも違反する規定であつて、仮に一〇年程度適用されてきた事実があつても、憲法及び強行法規に反する規定が慣習法として規範性を認められるものではない。

又、本件指導要綱を含めた同種の協力金支払いに関する指導要綱は法律上の根拠もなく、条例でもないため適用が恣意的であるほか各市町村及び時期によつて適用もまちまちであつて事実上の慣行の確立があるとは認められず、又本件指導要綱は市役所職員の単なる服務規定的なものであつて、市役所職員側にとつては或程度慣行化していたとしても、適用を受ける外部のディベロッパーや市民側にとつては法的確信が生じる程の慣行化があつたとはいえず、慣習法としての法規範性を有するものとはいえない。

(5) 本件指導要綱自体は被告の内部職員に対する服務規定と考えられるが、それが一律に外部の宅地等開発の申請者との契約の内容とされる以上予め一方的に定められた定型的契約条項、すなわちいわゆる普通契約条款となる。地方公共団体が独占的許認可権を有する事業に関して契約をする場合、その適用される普通契約条款は当然適法なものでなければならない。

そして、本件指導要綱は前記のとおり憲法二九条、八四条、地方税法七〇三条の三及び地方財政法四条の五に違反し、慣習法としても認められないものである。

(六) しかるに被告は原告に対し請求の趣旨第一項記載の債権を有すると主張し、支払済の本件協力金九四二万五六三〇円についても原告が昭和五九年二月末日までに返還請求をしたのにこれに応じない。

(七) よつて、原告は被告に対し請求の趣旨第一項記載の債務不存在の確認及び支払済の本件協力金九四二万五六三〇円及びこれに対する返還請求の日の後日である昭和五九年三月一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)の事実は認める(ただし本件開発予定地の地目は宅地でなく山林である)。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)の事実は認める(ただし、原告が都市計画法三七条にもとづく建築承認申請を行なつたのは昭和五八年八月二日である)。

(四) 同(四)の主張は争う。

(1) 本件協力金の趣旨は以下のとおりで、原告はこれを熟知して本件覚書に記名捺印したものであり、本件約定は有効に成立している。

(2) 本件協力金は本件指導要綱八条及び本件施行基準一四項に定めるところであり、被告の区域内において規模が一、〇〇〇平方メートル以上の造成事業を行なう事業主に対し、一定割合の公益用地を被告に提供すべきものとし、土地の提供をなさない場合にあつては、これに代わる金額を被告に納付すべきものとしており、これを協力金と呼称している。

(3) 昭和三〇年代後半より全国的に人口が大都市の都心から周辺部へ急激に移動するいわゆるドーナツ化現象が生じ周辺都市部において人口急増に伴い財政的には学校、公園、道路、上下水等の公共施設の急増設による支出を余儀なくされると共に、環境行政の面では住宅建設の急増が原因となつて住環境の悪化、近隣間の紛議の頻発等の悪影響を直接こうむることとなつた。

これらの悪影響には既存の建築上、財政上の法令規制は全く無力であり、周辺都市は自力をもつてこの悪影響に対処する必要上いわゆる指導要綱を制定するのやむなきに至つたものである。同五六年九月現在において、全国市町村のほぼ三分の一に当たる一、〇〇七の市町村がいわゆる指導要綱を制定し、これにより建設行政の円満な運営の実を上げて来ており、大阪市、京都市の周辺都市である被告においても同様に同四二年一一月一〇日本件指導要綱を制定し以後改正を重ねて今日に至つている。

(4) 本件協力金については同五七年一二月七日原告がこれを被告に納付することを約する本件覚書が作成せられ、納付金額、納付時期が明定せられている。原告は建設業者であつて、被告が本件指導要綱を制定していること及びこれに定められた協力金の趣旨は熟知しているものであるが、被告の担当職員は本件覚書の作成にあたり協力金の趣旨、その納付時期を原告に詳しく説明し、原告はこれを充分理解したうえ、本件覚書に記名捺印したもので、被告が右記名捺印を強制したものでなければ、原告の意思を無視してこれをなさしめたことはない。

(五) 請求原因(五)の主張は争う。

(1) 原告は本件約定は憲法二九条に違反するものであつて、民法九〇条、地方自治法二条一六項により無効であると主張するけれども、被告が納付を受ける協力金は公共施設整備基金条例の定めるところに従い、人口急増のため増設を余儀なくせられた公共施設の増設のために支弁せられており、公共の福祉に適合するもので、一方原告は本件土地につき開発許可を得て開発分譲することにより大きな利益を享受し得るのであつて、受益者負担の趣旨から憲法二九条に反するものではない。

(2) 本件指導要綱は以下のとおりすでに慣習法としての法的規範力を具有するから、これにもとづく本件覚書中の本件約定はこの意味においても有効である。

本件指導要綱は被告において昭和四二年一一月一〇日制定し同四六年になされた改正において協力金の定めがなされた。そして本件指導要綱の制定改正に当つては、その都度一般市民に対する説明会、関係業者よりの意見聴取を行ない、市会議員全員による全員協議会を開催して、内容説明、質疑応答を行なつたうえその内容は被告の市広報に掲載して市民に告知してきており、その制定改正は手法において条例制定と同様の手続をふんでいる。

本件指導要綱は前記(四)(3)記載のとおりの経緯から制定されたもので、被告の存立を全うするため必要やむをえないものである。

具体的には、被告における人口は次のとおり驚異的に急増している。

(年度) (人口)  (昭和三七年度を一とした比率)

三七  九万九六二九  一

四二 一六万三八二〇  一・六四

四七 二八万七〇〇九  二・八八

五二 三四万〇七九三  三・四二

このため被告は急激に莫大な公共事業費の出捐を余儀なくせられるに至つた。これらの公共事業費のうち被告が昭和四七年度以降において支払つた義務教育施設整備事業、これに伴う校舎等の借上料及び街路、公園、下水事業のみについてみても次のとおりである。〈編注・下表〉

(単位一〇〇万円)

年度

教育施設整備事業

校舎等借上料

街路等事業費

四七

六、四九八

六八二

七、一八〇

四八

六、〇九二

一二六

五二七

六、七四五

四九

九、八七四

二九八

八八〇

一一、〇五二

五〇

一〇、二一七

五二九

一、一三〇

一一、八七六

五一

八、八一一

六五六

六三四

一〇、一〇一

五二

六、〇一六

四一二

一、二一二

七、六四〇

五三

四、五四七

一七四

二、五七〇

七、二九一

五四

三、九九六

九五

二、〇六〇

六、一五一

五五

五、三三四

二四

二、二一七

七、五七五

五六

三、八五五

二、一六五

六、〇二〇

五七

八三六

二、六七四

三、五一〇

このように昭和四九年ないし五九年度においては一〇〇億円を超える支出が余儀なくされた。被告の人口は昭和四九年度三二万三一一八人、同五〇年度三三万〇五七〇人、同五一年度三三万七三九五人であり、右事業費は市民一人当たり同四九年度三万四二〇四円、同五〇年度三万五九二五円、同五一年度二万九九三八円にのぼり、その全てを一般財源によつて賄うことは到底なしえないところである。

開発建築にかかる指導要綱をもつ各市において、指導要綱の定めは多年に亘り法令と同様に法的拘束力をもつものとして遵守せられてきている。被告においても昭和四二年本件指導要綱制定以来、法令と同一の規範力を有するものと一般に認識せられており、同四六年以降本件指導要綱に従い次のとおり協力金が何らの異議なく納付されてきている。

年度    金 額(単位一、〇〇〇円)

四六         八一、二六五

四七        一四三、五五五

四八        一二〇、四五八

四九        三五七、一九二

五〇        三九八、六七七

五一        二四六、〇八一

五二        三六六、七三四

五三      一、三五〇、八一九

五四        八五一、八八一

五五      一、二二二、三六一

五六      一、四四九、八七九

五七      一、二五六、六八三

五八      一、二六四、五七九

五九(一二月まで) 八〇一、六五三

合 計 九、九一一、八二五

このように、本件指導要綱に定められた協力金が多年に亘つて当然に納付すべきものとして納付されてきたことは本件指導要綱が協力金にかかる規定を含めて慣習法として法的強制力を具有するに至つていることを示すものである。

(六) 請求原因(六)の事実は認める。

(七) 同(七)の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本案前の主張に対する判断

原告の本訴請求は、その主張自体からみて、本件指導要綱にもとづく開発協力金の支払要求を申込の誘引として締結された本件約定の効力等を争い、これから生じた本件協力金内金の支払債務の不存在確認とこれにもとづいて既に支払つた本件協力金の返還を求めるものであることが明らかであるところ、仮に右支払要求が行政処分であるとしても、原告の右の如き訴は、右支払要求によつて成立した本件約定に基づく当事者間の法律関係の存否を確認するいわゆる実質的当事者訴訟ないしその効力の有無等を前提問題とするいわゆる争点訴訟となりうるにすぎず、その訴訟要件として行訴法一四条の出訴期間が問題となる余地はないというべきであるから、被告の本案前の主張は採用できない。

なお、右支払要求が何ら公権力性のない行政指導にすぎず、本件約定が純然たる私法上の契約であることは後記のとおりであつて、本件訴訟が民事訴訟であることは明らかである。

二本案の主張に対する判断

1  請求原因(一)(ただし開発予定地の地目を除く)、(二)、(三)、(ただし都市計画法三七条に基づく建築承認申請の日時を除く)、(六)の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によると、開発予定地の地目は山林であり、又建築承認申請を行なつた日は昭和五八年八月二日であることが認められる。

2  そこで、まず本件指導要綱及び同施行基準の制定に至る経過及びその運用の状況並びに本件約定締結に至る経緯及びその後の履行状況について判断するに、〈証拠〉を総合すると以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  被告は、大阪市などの大都市の近郊で交通至便な位置に存し、近郊都市として発展する可能性を持つていたが、昭和三〇年代後半頃から全国的に都市部への人口の移動が見られるようになり、被告においてもその例にもれず乱開発と人口の急激な増加にみまわれるに至つた。

これを絶対値でみると同三七年には九万九六二九人であつた人口が四二年には一六万三八二〇人、四七年には二八万七〇〇九人、五二年には三四万〇七九三人へと大幅に増加し、同三七年度の人口を一とした比率でみると四二年には一・六四倍、四七年には二・八八倍、五二年には三・四二倍となつた。

人口増加率の面でも昭和三五年から四〇年にかけてはほぼ毎年一〇パーセント前後の高率を維持し、同四〇年から四五年にかけてはさらに上昇し恒常的に毎年一〇パーセントを超える状態であつた。他の自治体との比較においても同四〇年から四五年にかけての人口増加率は全国一を記録するに至つた。

(二)  そして、このような状況の下で、人口増加に見合つた道路、公園、義務教育施設などの公共施設が必ずしも十分に整備されない地域に開発が行われ、又その開発計画自体にこれらの整備が組み込まれていなかつたため、被告においてこれら公共施設の急速な整備を行う必要に迫られ(例えば昭和四四年における被告の小学校・中学校・幼稚園数はそれぞれ一七・六・一四であつたのに同五二年にはそれぞれ四一・一五・三九にまで増設された)、これに要する莫大な費用が被告の財政を圧迫し、又これら公共施設の整備の不可避的な遅れによる生活環境の悪化を招来するに至つた。そこで遅くとも被告が開発協力金の制度を導入するに至つた昭和四六年にはこのような事態に対応するためなんらかの財政上の措置を講ずる必要を生じることとなつた。しかるに、既存の国の都市計画、建築等の関係法令は標準的、静態的な人口動態を前提に組み立てられており、このように急速かつ莫大な公共施設整備費用の増加に十分対処できず(たとえば宅地開発に伴い必要となる道路、水路等の公共施設の整備に要する費用に充てるための目的税として昭和四四年に宅地開発税(地方税法七〇三条の三)が創設されたが、これもその使途が制限されるなどの問題点があり、被告においてその採用を検討したが結局これを採用しないこととなつた)、これらに依拠することはできなかつたため、被告としては、人口増加の主因をなしている開発行為者に被告の窮状に対する理解を求め、その任意の負担を得て公共施設の充実を計り、財政負担を軽減する以外に適当な救済策は考えられなかつた。

(三)  このような状況で、被告は乱開発に対処するため昭和四二年一一月に本件指導要綱を制定し、被告の市域内において一定面積以上の開発行為を行う事業主に対してこれを適用し、その後同四六年四月にこれを改定して初めて開発協力金に関する規定を置き、その後数次にわたる改定の結果、本件約定の当時には、本件指導要綱八条に、主として住宅地を目的とした開発を行う事業主は市長が必要と認める公共・公益(公園・小学校・中学校・幼稚園・保育所等)用地の一部として、宅地面積の五パーセント以上相当分を別途基準により提供しなければならない旨の規定がおかれ、これを受けて本件施行基準一四項において、開発事業主は、被告に対し、開発区域の一部において公益施設用地利用計画がある場合その他一定の場合に公益用地を提供するものとし、その面積については開発区域内の計画人口密度一五〇人/ヘクタールまでは宅地面積の五パーセント、これを越えるときは、三〇〇人/ヘクタールまでは計画人口密度三〇人/ヘクタールまでを越えるごとに〇・五パーセントを、三〇〇人/ヘクタールを越える部分については計画人口密度三〇人/ヘクタールまでを越えるごとに一・〇パーセントを加算したものとし、公益用地を提供する場合以外はこれに代わる協力金として上記の提供面積に地価を乗じた金額を、本件指導要綱にもとづく覚書作成時にその半額以上を、残額を都市計画法三六条にもとづく完了検査済証受領時(ただし同法三七条に基づく申請をする時にはその申請時)に被告に納付しなければならない旨の規定を置くに至つていた。

(四)  そして、右協力金の使途については昭和五四年以前にはこれを被告市の一般会計に組み入れ、それ以後は被告の公共施設整備基金条例にもとづく基金に組み入れて、公共施設の円滑かつ効率的な整備及び、財政の健全な運営のために使用される体制がとられていた。

(五)  本件指導要綱は昭和四二年一一月に制定された後、本件約定以前には、同四六年四月、同四八年一〇月等に改定されている。その手続きについてはこれを定めた条例その他の規定は存在しないが、重要な改定にあたつては、被告において作成した原案について開発業者、不動産業者等の利害関係人からの意見聴取を行い、一般市民に対する説明会をへて必要な修正を行つた後、市議会の全員協議会にかけてその賛同を得、これを被告が制定し、広報紙によりこれを一般に周知せしめるとの手続きがとられ、その他の場合では被告において作成した原案について市議会の行政特別委員会での審議承認、本会議での報告をへて同様に制定されている。結局本件指導要綱の制定及び改定にあたつては条例としての制定改定の手続きはとられておらず、法令・条例の委任を受けて制定改定されたものでもなかつた。

(六)  個々の協力金の納付の手続きに関しては、本件約定の当時は、まず本件指導要綱三条において開発事業を行おうとする事業主は、都市計画法等の法定の協議に先立つて被告の関係各課と同要綱に基づく関連公共施設等の整備に関する協議をしなければならないとされ、ここで合意に達した場合には同二二条により被告市長との間における覚書を交換することになつていたが、開発協力金の金額決定等もこの協議の対象とされていた。そして協力金額の決定に当たつては本件施行基準等により一律に決定されるのではなく、当該開発事業に占める公共開発的要素を勘案し、これに応じた減額を行つて算定する実務上の取り扱いであつた(ただし、この減額は開発事業の種類と内容を基準として行われそれ以外の要素は考慮されていない)。

(七)  このような本件指導要綱及び施行基準の制定運用の結果、昭和四六年から五九年までに被告に納付された協力金の合計額は約一〇〇億円に上り、同四五年から五二年にかけての小学校・中学校・幼稚園の建設ラッシュ、その他の公共施設の整備費用の増大による被告の財政破綻を回避する一助となり、又間接的に乱開発にブレーキをかけ人口増加の抑制に貢献した。そして同四六年に開発協力金の制度が導入されて以来、原告の本件開発に至るまで、開発事業主が開発協力金の減免を要求し、あるいは覚書を交換した後にその納付の猶予を要請してきたことはあつたが、すべて最終的には本件指導要綱及び施行基準どおりの納付が行われておりそれ以上の問題を生じたことはなかつた。

(八)  本件約定に至る経緯については、前記認定の開発協力金に関する実務の状況と同様であつて、都市計画法等にもとづく法定の協議に先立つて、本件指導要綱にもとづき本件開発の事業主である原告と被告間で事前協議が行われた。そのなかで原告は被告の指導課を窓口として建設・都市整備・水政等の関係各課と本件開発に関する被告の指導事項・協議事項について協議を重ね、開発協力金についても同様の協議が行われ、前記認定の内容のとおり本件指導要綱及び同施行基準にしたがつて金額と支払時期が決定されたが、これらの協議の過程において被告職員が開発協力金の趣旨内容を説明したのに対して、原告は支払期日を猶予して欲しい旨の要請をしたこと以外になんらの異議をとなえなかつた。そして昭和五七年一二月八日以上の協議の結果合意に達した事項について本件約定を含む覚書が作成された。

その後、原告は本件開発のため、同五八年二月一四日敷地造成工事について都市計画法二九条、八六条にもとづく開発行為の許可申請を行い、右申請は同月二二日許可され、同年八月二日右開発行為の一部変更を申請し、同月四日許可された。原告はさらに同月五日建物建築について建築確認申請及び都市計画法三七条にもとづく建築承認申請をなしたが、この際本件約定にもとづく未払協力金の支払いをしなかつた。これに対して被告は本件約定に従いその支払いをなすべきことを求め、建築確認及び建築承認をいずれも留保した。その後、原告は同年一一月一四日、被告に対し誓約書を入れ、未払協力金の支払いを同五九年三月末まで猶予してもらいたい旨要請し、同五九年二月には口頭で再度支払いを六か月猶予してもらいたい旨申し入れたが、結局原被告間でなんらかの合意に達するには至らず、現在まで被告は建築確認及び建築承認の留保を継続している。

3  以上認定の事実にもとづいて、本件約定の成否及び無効に係る主張について順次判断する。

(一)  本件約定の成否について判断するに、前記認定事実にもとづいて考えると、被告が開発協力金支払いを要請し、これに対して原告は金一八八五万一二六〇円の開発協力金の支払い義務を負担する旨の本件覚書を被告に交付したものであり、かつ被告職員において原告に開発協力金の趣旨内容を説明した以外に、特に本件約定の締結を強要したような事情はなく、原告も納付時期の猶予を要請した外、本件約定の締結になんらの異議を唱えなかつたのであるから、原告は開発協力金の趣旨内容を理解して、その自由な意志で本件約定を締結したものと認めるべきであり、本件約定は私法上贈与契約として有効に成立したということができる。

(二)  本件指導要綱は憲法二九条に違反するものであつて、これを内容とする本件約定は民法九〇条、地方自治法二条一六項により無効であるという主張について判断する。

前記認定事実にもとづいて考えると本件約定は本件指導要綱による行政指導にもとづくものであり本件指導要綱は作用法的な法律上の根拠を有しないのであるが、本件約定はそれ自体は私法上の贈与契約として成立しているものであるから、その基礎となつた行政指導に法律上の根拠がないということから直ちにこれを無効ということはできない。他方私法上の契約の締結を目的とする行政指導は相手方になんらかの事実上の影響を与えるものであることは否定できず、これをあらゆる場合にいかなる意味においても法律上の根拠を必要としないと断定することは法治主義の観点から妥当ではないというべきである。従つて、当該行政指導の目的、必要性、方法の相当性、相手方の負担の程度、相手方に対する働きかけの態様、程度等を総合考慮し、それが法治主義を潜脱するものである等特段の事情が認められる場合において初めてその行政指導に基づく私法上の契約が無効となると解すべきであるところ、前記認定の事実に照らして考えるとき右特段の事情が認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

なお、本件指導要綱が慣習法である旨の被告の主張についてみると、ある慣行が慣習法となるには社会における法的確信によつて支持されることが必要であると解すべきところ、前記認定の事実にもとづいて考えると、本件指導要綱が法的確信によつて支持されるに至つているとは認めがたいので、右の被告の主張は採用しえない。

(三)  本件指導要綱の開発協力金に関する規定は、地方税法七〇三条の三、憲法八四条の規定に違反し、租税法律主義に違反するものであり、これを内容とする本件約定も民法九〇条、地方自治法二条一六項により無効であるという主張について判断する。

地方税法七〇三条の三の規定する宅地開発税は行政庁が公権力の行使として賦課する金銭支払い義務であるが、本件指導要綱に基づく開発協力金は、さきに認定したとおり原告と開発行為者との私法上の贈与契約による金銭支払い義務なのであるから、これに法律上の根拠がないとしても、地方税法七〇三条の三ないし憲法八四条に反するものではなく、租税法律主義に違反するとも言えない。

(四)  本件指導要綱に基づく開発協力金の規定は地方財政法四条の五の割当的寄附金の禁止の規定に違反するもので無効であることからこれを内容とする本件約定は民法九〇条、地方自治法二条一六項により無効であるという主張について判断する。

同条における寄附金を割り当てて強制的に徴収する行為(これに相当する行為を含む)とは、国または地方公共団体がその権力関係または公権力を利用して、強制的に寄附の意思表示を為さしめて、これを収納する行為をいうところ、本件約定締結の経緯は前記認定のとおりであつて被告職員が原告に開発協力金の趣旨内容を説明した以外に、その権力関係または公権力を利用して本件約定の締結を強制した事実はこれを認めることができず、又被告が本件約定の履行を求めているのは私法上の贈与契約の効果にもとづくものというべきであるから、本件約定の締結は同条の寄附金を割り当てて強制的に徴収する行為ないしこれに相当する行為にあたらない。

(五)  本件指導要綱が実質上は普通契約条款でありかつ違法なものである旨の主張についてみるに、前記認定事実中にみられる運用の実態からみると本件指導要綱がにわかに実質上の普通契約条款であるとはいえないばかりでなく、以上認定のとおりそれが違法のものともいえないので、右主張は採用の限りでない。

4  以上の次第であるから、本件約定は有効であり、原告は被告に対し、本件約定にもとづく未払開発協力金九四二万五六三〇円の支払義務を負担するものであり、既に支払済の開発協力金九四二万五六三〇円の返還請求をなしえないものといわなければならない。

三結論

してみれば原告の本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官東 孝行 裁判官松永眞明 裁判官夏目明德)

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